2025年、二つの出来事
長野県諏訪市に本社を置く鳥影社は、1982年に現社長・百瀬精一が創業した出版社です。諏訪市は岩波書店の創業者・岩波茂雄の出身地であり、隣接する茅野市にはみすず書房の小尾俊人、塩尻市には筑摩書房の古田晁が生まれるなど、出版人を多く輩出してきた土地です。鳥影社はその系譜の末席に連なる小出版社ですが、2025年には忘れがたい二つの出来事がありました。
『季刊文科』100号の到達
ひとつめは、鳥影社が25号より発行を引き継いできた文芸誌『季刊文科』が、ついに100号を迎えたことです。
この雑誌は、故・大河内昭爾氏を発起人として、発行:アート・ロベ、発売:紀伊國屋書店の体制で創刊されました。その後、発行元はおうふう、邑書林、北溟社へと移り、再三の版元交代を経て鳥影社が引き継ぎました。
創刊時の編集委員は、大河内昭爾、松本道介、松本徹、勝又浩の4名に、秋山駿、吉村昭を加えた6名。現在は、松本徹、勝又浩、津村節子、伊藤氏貴、佐藤洋二郎、中沢けい、富岡幸一郎の7名が務めています。
「純文学宣言」を掲げ、同人雑誌季評や再録作品などを通して、純文学の再興を目指すという姿勢は創刊以来一貫しています。100号の節目を迎えられたのは、読者と執筆者の双方がこの理念を信じ続けてくれたおかげだと感じています。


『新訳金瓶梅』日本翻訳文化賞受賞
もうひとつの出来事は、田中智行訳『新訳金瓶梅』が第62回日本翻訳文化賞(日本翻訳家協会主催)を受賞したことです。
『金瓶梅』は明代の長編小説で、『三国志演義』『水滸伝』『西遊記』と並ぶ「四大奇書」の一つに数えられます。これまでにも抄訳など多くの翻訳がされてきましたが、表現の割愛などがあり、本当の意味での「完訳」と呼べるものは存在せず、研究者の間では「最後の未踏峰」と呼ばれてきました。
今回の新訳は、2018年の上巻刊行から7年を経て、2025年4月に完結。四六判の二段組で計2500ページに及ぶ大作です。訳者の田中智行・大阪大学大学院教授が、原文の韻律や詩句の字数にまで配慮しながら、徹底的に訳文の検討を重ねた労作であり、日本語訳として初の真の「完訳」と言える内容になりました。
また、最新研究を踏まえた膨大な訳注は、当時の社会や文化を理解するための貴重な手引きにもなっています。今回の受賞は、原文との照合などで、その正確さと読みやすさが高く評価されたとのことです。

この二つの出来事は、規模の小さな出版社であっても、粘り強く続けていけば文学と出版の現場に確かな足跡を残せる——そのことを改めて感じさせてくれました。
これからも、鳥影社にしかできない出版を目指して歩みを続けていきたいと思います。