「でもしか」出版社
版元ドットコム会員社の皆さま、初めまして。2020年12月の入会以降、事務局の皆さまにも直接お会いしてご挨拶もせぬまま今日に至っており、心苦しい限りです。いつも有益な情報を有り難く思っております(下記の通り、一人での経営+編集仕事ですので、誰かにすぐに尋ねるわけにもいかず、大いに助かっております)。
さて、この度は本欄へのお誘いをいただき有難うございます。軽い気持ちでお引き受けしたものの、何を書こうかと、数カ月も悩んでしまいました。しかし、ここは、自己(自社)紹介をせねば始まらないだろうということで…。
吉田書店は、私=吉田真也が2011年4月に一人でスタートさせた出版社です。同年秋に2点(柏倉康夫著『指導者はこうして育つ』、
神川信彦著(君塚直隆解題)『グラッドストン』)
を刊行して以降、本(2023)年4月末に至るまで、政治や歴史、フランス関係の本を中心に111点を数えるに至りました。
印刷所、製本所、組版屋(DTP)さん、そして校正者やデザイナーさん、そして何より、著者と読者のお蔭で、どうにかこうにか12年(干支が一回り!)続けてこられたこと、感謝せねばなりません。
創業時は30代だった私も昨年11月には50歳に(小学1年だった娘は大学1年に…)。社員は私一人のままです。したがって、社長兼編集長兼営業部長兼平社員…。やっていること、やるべきことは創業時も現在も、恐らくウン十年後も全く変わりません。
日々是決戦、毎日新しい課題が目の前に現れる状況です。難しい選択をする際、誰にも相談できないものの、誰にも文句を言われるわけでもなく、これはこれで単純明快。自分が決裁権者となって判断するだけですから。
誤解を恐れずに申し上げれば、吉田書店は「でもしか」出版社である(だった)のかもしれません。創業時の気持ちを正直に表せば、(高尚な目標を掲げるわけでもなく)出版社でもやるか、(残された道は)出版社しかない…。とにかく本に囲まれながら、ストレスなく楽しく過ごしたかっただけでした。
24歳で大学を卒業して以降、幾つかの版元でお世話になりましたし、20代後半から30代前半の6年間は故郷で公務員として働きました。その場その場では楽しく充実していたものの、何となく物足りなさ(傲慢だったのかも…)を感じる日々でした。若者によくあるパターンかもしれません。
さらに10代まで遡れば、運動はからっきしダメなのに剣道をやってフェンシングをしてみたことも、気象や地震に興味を持って気象大学校を受験したことも(不合格)、大学入学時は数学科だったし(その後〝文転〟)、フランス語を少しでも上達させようと思ってトゥールの街(語学学校)に1か月滞在したことも(未だ初級)……。結局はどれもこれも長続きせず、(特段の能力も備えていないのに)移り気なのでしょう。
そんな私でしたから40歳を目前に控えて、もう独りで出版社でもやるしかない、そうやって自分を追い込んだのだと、今から振り返れば解釈可能です。このままでは「口だけ番長」になりそうでしたもの…。
もちろん、一昔前と比べれば出版社を立ち上げやすくなっていたのも確か。会社法が改正され創業しやすい環境は整っていました。出版社特有の「流通」やら「取次」問題だって、大手取次との口座が開けずとも大丈夫そうでした(残念ながら今も開けていませんが…)。そうそう、世間的にもベンチャーには優しかったです。銀行もお金を貸してくれました。不動産屋も事務所に最適な物件を探してくれました。そして何より、著者の先生も同業者も応援してくれました。
編集+出版という仕事、かつ一人での経営は、私のような、あれもこれもと手を出しがちで独りよがりになりがちな人間にぴったりだったような気がします。
なにより、こんな移り気な浮気者が12年間にわたって吉田書店を続けてきたこと自体が、そのことを証明してくれています。
著者の先生と話したり、メール交換をしたり、校正刷りを読んで知らないことに直面したりするたびに、自らの至らなさを感じつつも、ほんの少しでも自らが成長していることが実感できますから…。そのたびごと、謙虚にならざるを得ません。経営悪化を誰のせいにすることもできません。とにかく、自らの力で前に進むだけなのです。
「でもしか」版元だからこそできることがあるはず、そう信じて、明日も明後日も本を作り続けたいと思います。時には、月月火水木金金…、そんな一週間があっても何ら苦になりません。この原稿も、世間が休日の黄金週間に書き上げました。
次回(があれば)までには、吉田書店の足腰をもっと鍛えて、新たな企画の発表の場にしたいものです。引き続きのご愛顧をよろしくお願い致します。