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動きだした時計 小松みゆき(著) - めこん
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動きだした時計 ベトナム残留日本兵とその家族

発行:めこん
四六判
縦188mm 横128mm 厚さ24mm
重さ 430g
320ページ
並製
定価 2,500円+税
ISBN
978-4-8396-0321-2
Cコード
C0030
一般 単行本 社会科学総記
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2020年5月25日
書店発売日
登録日
2020年4月27日
最終更新日
2020年7月14日
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書評掲載情報

2020-07-25 日本経済新聞  朝刊
2020-07-25 朝日新聞  朝刊
評者: 戸邉秀明(東京経済大学教授・日本近現代史)
2020-06-07 読売新聞  朝刊

紹介

40歳を過ぎてベトナムに移り住んだ日本語教師の女性と、第2次世界大戦後も帰国せずにベトナムに残った日本兵とその家族たちとの30年におよぶ交流の記録。
著者小松みゆきさんは1992年にハノイに赴任。2001年に認知症となった母親を日本から呼んで同居を開始。その大変だけどちょっと愉快な日々は2015年に松坂慶子さん主演「ベトナムの風に吹かれて」として映画化されました。彼女は新潟の田舎育ち。昭和の貧しくアナーキーな青春時代を駆け抜けてきた魅力的な個性の持ち主です。一方、日本兵たちは戦後ベトナムの抗仏戦争に協力しベトナム人女性と家族を持ちますが、ベトナム政府の方針転換により日本へ単身帰国することになり、残された家族は一転して迫害を受けるようになります。
おたがい社会からはみだした境遇だったから引かれるものがあったのか、その後30年にわたって小松さんは残された家族の相談相手、日本に戻った元兵士たちとの橋渡しを務め、認知症の母も同世代のベトナム人妻たちと仲良くなったりします。それにしても不条理に残されたベトナム人の妻たち、子供たちは、なぜ日本に戻ってしまった夫、父親を恨みもせずに想いつづけるのか。共感、怒り、感動…多くの人に読んでもらいたい1冊です。

目次

まえがき

残留日本兵家族との出会い
  一九九二年、ハノイ
  ソンさんの回想
  手紙

残留日本兵家族と私
  ほかにもいた「コンライ」たち
  同世代の私
  特別な国
  「姉ちゃんがやってあげるよ」

父たちの歳月
  調査開始
  残留日本兵とは
  帰国、その後
  日越の架け橋に
  呉さん、帰国できなかった残留日本人

スアンさんと家族の歳月
  私はハルコ
  残された家族

ロックさんと家族の歳月
  日本からの人探し依頼
  高澤さんとの暮らし
  残された家族
  「父の愛した妻」

ズンさんと家族の歳月
  始まった文通
  親子対面
  タチバナさんの「戦争体験記」

Baちゃんが来た
  認知症の母を引き取る
  ソンさんの父は
  Baちゃんとの日々

伝える責任
  二〇〇四年、「ベトナムの蝶々夫人」
  NHKドキュメンタリー始動
  スアンさんの夫清水さんを訪ねる
  ドキュメンタリー放映
  残留と帰国の理由

近づく心の距離
  清水さん訪越、スアンさんとの再会
  「お父さんの国が大変だ」
  相次ぐ喪失
  映画と母の死と

父の国へ
  二〇一七年、天皇皇后両陛下訪越 
  墓参の旅
  高澤さんのお墓が見つかった
  ズンさんの四国の妹たち
  スアンさん、分骨・その後
  ロックさん、動きだした時計
  「和」への想い

【解説】

「新しいベトナム人」の時代背景 白石昌也(早稲田大学名誉教授 日本ベトナム研究者会議会長)
  日本軍がなぜ終戦時点にベトナムに駐屯していたのか?
  一部の日本兵が終戦後もなぜベトナムに残留することになったのか?
  残留兵の多くが参加することになった「ベトミン」とはどんな組織だったのか?

残留日本人の日本帰国の背景    古田 元夫(日越大学学長)
  「ホー・チ・ミンの国」から「ソ連・中国圏の国」へ
  国民共同体の開放性
  中国顧問団

加茂徳治さんのお墓探し  坪井善明(早稲田大学名誉教授)
  簡単ではなかった墓参の旅
  加茂徳治さんの足跡
  建国への貢献で勲章
  お彼岸に現地へ
  御影石の墓
  チャウさんと会う
  「ひとつも恨んでいない」
  宗建寺再訪、平和は尊い

二つのドキュメンタリー 栗木 誠一(NHK国際放送局多言語メディア部チーフプロデューサー)
  二〇〇四年、番組作り開始
  残留日本兵本人に会う
  残った「帰国の謎」
  「父の国」への想い
  一二年後の続編
  ドキュメンタリーが生まれた

【資料】
レ・ティ・サンさんの手記

タチバナさんの「戦争体験記」と「手記」
  タチバナさんの「戦争体験記」(二〇〇一年)より
  タチバナさんの帰国後の生活(小松への私信より)

タチバナさんから家族への手紙(一九五四年)
  妻ミン宛 一九五四年一〇月二〇日  
  長男タイン宛 一九五四年一〇月二〇日
  バー宛 一九五四年一一月一一日
  妻ミン宛 一九五四年一一月一二日 
  ミンとタイン宛 一九五四年一一月一二日
  ミンとタイン宛 一九五四年一一月二五日

呉連義さんの手記による「ホクタップ」


あとがき

前書きなど

まえがき

ベトナムの首都・ハノイにある日本語学校の教室で、私はソンさんに出会った。
どこから見てもベトナムのおじさん。四十代、あるいは五十代かもしれない。正直に言えば、あまり裕福ではなさそうな印象だった。

「私ノ父ハ、日本人デス」

南国のねっとりした熱い空気がこもった教室で、彼はつっかえながらそう言った。なかなか言葉が聞き取れず、ようやく理解したものの、最初は意味がわからなかった。
この時のソンさんの言葉が、私の中に小さな風をおこしたのだと思う。
なぜここに日本人の子どもがいるのだろうと、まず不思議に思った。日本企業が多数進出し、日本人観光客があふれる現代とは違う。一九九二年のハノイは、資本主義経済を導入したドイモイ(刷新)政策が提唱されてたった六年、まだアメリカの経済制裁は解除されていなかった。アメリカとの国交正常化は一九九五年で、同年にようやくASEAN(東南アジア諸国連合)に加盟している。日本人の姿もまだ少なかった。
その理由を知りたくなって、本を取り寄せて読み、人に話を聞いた。すると、ほかにも「父が日本人」と言う人々に次々に出会うことになった。みな、私と同世代か、少し若いくらいだった。その彼らは、人目もはばからずに顔をクシャクシャにして涙を流しながら「お父さんに会いたい」「お墓参りをしたい」と訴える。それが、一人や二人ではなかった。
ベトナムでは、人々は家族をとても大切にする。それを知っているはずの私でも、その姿には衝撃を受けた。
ベトナムは、グエン王朝時代の一九世紀フランスの植民地になっていた。そこに日本軍が侵攻した。日本軍は、当初はフランスと共同統治の形をとっていたが、一九四五年三月の明号作戦によって全権を掌握する。つまり第二次世界大戦終結時には、ベトナムは日本の支配下にあったのだ。
ところが一九四五年八月の敗戦によって、日本軍は武装解除され引き揚げることになった。この時、少なくとも六〇〇人以上が帰国せずに、ベトナムに残留したと言われている。日本軍の兵士だけでなく、商社や金融関係など勤務の民間人のなかにも残留する人がいた。その多くが、ベトミン(ベトナム独立同盟)からのリクルートを受けた。
ベトミンは、日本軍撤退後に再び支配を強めていたフランスからの独立を目指して戦っており、残留日本兵たちはその中で、兵士、軍事教官、軍医などとして働いた。彼らは「新しいベトナム人」(Nguoi Vietnam moi)と呼ばれ、ベトナム名を名乗り、周囲に勧められて家庭を持ち、ベトナムに根を下ろして暮らしていたようだ。
しかし九年後の一九五四年に、ベトナム政府が残留日本兵の帰国を促してその生活は一変する。この時、家族の帯同は許されなかった。
その後に勃発したベトナム戦争では、日本は敵国アメリカの同盟国と見なされた。ベトナムに残された子どもたちは「ファシスト・ニャット(日本ファシスト)の子」と後ろ指をさされ、有形無形の差別を受けたという。
残された家族たちは、夫や父をひたすら待ち続け、想い続けていた。当時の衣類や、黄ばんだ写真やボロボロになった書類を、今でも大切に持っている人も多い。「夫が歌っていたから覚えた」と、私に日本の歌を歌って聞かせてくれた妻も何人もいた。彼らの夫・父を想う気持ちには、圧倒される想いであった。
私は、残留日本兵の家族探しにのめりこんでいった。
自分と同世代で、同じアジア人の彼らには、最初から何となく親しみを感じていた。また、日本ではあまり見られなくなってしまったような家族の強い絆と、肉親への豊かな愛情にも心を動かされた。そしてまた、自分とどこか縁のようなものを感じたのかもしれないとも思う。
新潟の山村で生まれ育った私は、一五歳で東京に出て、働きながら夜間高校と夜間短大に通った。幸い職場にも恵まれて、二〇代三〇代は生きるために働き、仕事を通して多くのものを学んだ。しかし日本社会に違和感のようなものを感じるようになっていたところにプライベートな転機が重なり、四〇代はじめに思い切って日本を飛び出した。その後、日本語教師の資格を得て何かに導かれるようにベトナムに赴任し、そこで出会ったのが残留日本兵の子どもたちだったのだ。
数年後、身軽なひとり暮らしは、認知症の母との同居が始まって一変した。中学時代以来の母との暮らしは楽しくもあり、大変でもあった。もっとも、残留日本兵やその妻たちと同世代である母の存在は、調査にプラスになることも多かった。
歴史の専門家でもない私が始めた調査は、手探りで、遅々として進まなかった。しかし地道に続けているうちに、追い風が吹いてくれることもあった。理解者が徐々に増えて、専門誌に発表する機会を得たり、それをもとにしたテレビドキュメンタリーが制作されたりした。最大の追い風は、二〇一七年の天皇陛下の訪越で、これがきっかけになって、家族たちが切望していた父の国への墓参旅行が実現した。
残留日本兵とその家族というテーマは、私が、ベトナムで出会った「戦争の落とし物」なのだと思っている。
私は戦争を直接体験したわけではないが、その残り香を感じながら育った世代である。だから、その落とし物に気づいて拾い上げた。そして、その時々の風に吹かれるまま自然体で付き合っているうちに、いつの間にか四半世紀が過ぎてしまった。
これは、人の縁の濃いこの国で暮らしてきた一人の日本人である私が、歴史の狭間に埋もれかけた人々をたずね、一緒に泣き笑いしながら歩んできた記録である。
本書はいわゆる歴史書ではない。
彼らが「政府の命令だった」「当時の世の中がこうだった」と記憶していて語ってくれたことが、結果的に違っていたということもあるはずだ。渦中の人間は、その背景となっている政治や社会、国際情勢などの事情を知りえないまま、必死で生きているのだから。また、聞き手である私の主観も入っている。
つまりこれは、戦争によってその運命を翻弄された、個人目線の記録である。
その背景にある政治や国際事情には深く言及することはできなかったし、それは歴史の専門家ではない私の手には余ることだった。
そこで、ベトナムの政治・社会史の専門家に、歴史的な背景の解説をお願いした。特に、ベトナム残留日本兵・日本人を語る時に避けて通れない次の二点についてである。

一九四五年、彼らはなぜベトナムに残留したのか
一九五四年、彼らはなぜ日本に帰国したのか

これらを併せてお読みいただくことで、ベトナム近現代史の大きな時間の流れの中に、ベトナム残留日本兵・日本人とその家族の歴史を位置付けていただけるのではないかと思う。


二〇二〇年春
小松みゆき

著者プロフィール

小松みゆき  (コマツミユキ)  (

1947年新潟県北魚沼郡堀之内町(現・魚沼市)生まれ。中学卒業後に上京、共立女子短期大学卒。出版社、法律事務所等勤務を経て、1992年にベトナムの首都ハノイに日本語教師として赴任。2008年よりベトナム社会主義共和国国営ラジオ局VOV「ベトナムの声」放送局勤務。現在、シニアアドバイザーをつとめている。ベトナム残留日本兵家族会コーデネーター。 2017年外務大臣表彰。認知症の母親をハノイで介護したエピソードは2015年、松坂慶子主演の日越合作映画「ベトナムの風に吹かれて」となった。著書『ベトナムの風に吹かれて』(角川文庫)。

白石昌也  (シライシマサヤ)  (解説

ベトナム研究者。早稲田大学名誉教授。日本ベトナム研究者会議会長。

古田元夫  (フルタモトオ)  (解説

ベトナム研究者。東京大学名誉教授。日越大学学長。

坪井善明  (ツボイヨシハル)  (解説

ベトナム研究者。早稲田大学名誉教授。

栗木誠一  (クリキセイイチ)  (解説

NHK国際放送局多言語メディア部チーフプロデューサー。

上記内容は本書刊行時のものです。