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営業イメージ狂想曲

 各出版社それぞれに「哲学出版社」「文芸出版社」…などなど、「色」というものをお持ちだろう。その時その時の出版物によって書店での出版社のイメージと言うものが付いて回るものだ。
 元々弊社は「文芸」「競馬」「株式投資」の書籍を発売し、中でも「競馬」に力を入れてきただけに『競馬版元』のイメージが強いようだ。当然営業マンも競馬に詳しいと思われる、「明日のレース、何買う?」から「昨日のレースは取ったか?」まず書店に着くなりの会話はこれ。まあ、競馬好きとしては公私混同、趣味と実益、願ったりかなったり…、うれしいやら悲しいやら(まあうれしい)。
 
 しかし、中には以前在籍していた会社のイメージをいまだに払拭できずにいる場合も多い。以前ちょっとエッチな本なども出版している会社にいたものだから、『エロ版元営業マン』さらに発展して『エロ営業マン』もう個人にイメージが付いてしまう。
「POGの本(競馬のペーパーオーナーズゲーム)を今度出します。」と言っても
「なんや、それ?エロいんか?(別に関西弁の必要はないが…これもイメージ)」
「いや、競馬の本なんです。」
「なんや、最近は競馬の本なんか出してるんかい。エッチな本案内してえな」
「ところで、今晩どう?」
「はっ、何ですか?」
「ちょいと夜の街にでも?(言葉濁してます。ストレートに書けません。まあそういう店へのお誘いです。)」
「はっ!お供いたします。」即答…(こちらもまあうれしい)
「で、新刊ですけど…」
「適当に入れといて、じゃあ8時に…」
……会話が成り立たない。……そして、営業にならない。(これはちょっと悲しい)
そんな何年も前のイメージを引きずらなければならない。現在の会社が3社目だけに色々なイメージが付いて回るのだ。

 弊社の場合、営業部隊のメンバーを考えると大変怖い話だが、営業は会社のイメージを背負って立つ「会社の顔」なのだ!なのか!?

前を向いて歩いて行こうね。きっと、いいことがある。

 先日、「私らしく生きたい 盲導犬とともに歩んで」の著者・郡司ななえさんとともに池袋を歩く機会があった。目の不自由な人と人ごみを歩くことも、盲導犬の仕事振りに直接触れることも初めての経験であったから些細なことに驚かされたり、気付かされたりすることが多かった。実際に我々の普段当たり前の生活が大変な苦労だったりする。

 まず待ち合わせの段階から軽く「駅前の書店の前で待っています。」と言ってはみたものの、盲導犬は道案内ができるわけではないのだからその場所へ行き着くためには自分の力で待ち合わせ場所を探せねばならない。また、喫茶店でお茶を飲むのでも店に入る前に盲導犬に服を着せる。それは犬の毛が抜けることで他のお客さんに不愉快な思いをさせないためだそうだ。階段の上り下り、路をさえぎる柱や路上駐車の自転車をたくみに避けて歩く姿、そんな日常的な些細な出来事一つ一つが驚きの連続であった。

 バリヤフリーだ、補助犬法案だ、と話題になる中で真に障害者や補助犬たちと健常者とが共存していくには、実はそんな普通の日常的な生活を理解する必要があるのだと強く感じさせられた。

 ここ最近、盲導犬、介助犬など活躍する犬が増えてきている。また、関連の本も多くでている。そんな中で「可愛いワンちゃんを人間の道具にするなんて」とか「盲導犬は長生きできなくて可愛そう」などという声を耳にすることがある。しかし、そんなことは無い。日々使用者とともに生活し、「使用者の目になっているのだ」と胸を張って生きている盲導犬たちはすごく生き生きと幸せそうに見える。

 「私らしく行きたい 盲導犬とともに歩んで」は、ベーチェット病を発病し中途失明した著者の絶望や、結婚・出産・子育てという「普通の女性と同じように生きていきたい」というひた向きで前向きな生き方、ベルナ・ガーランド・ペリラと三頭の盲導犬たちと深い絆で結ばれた中で生まれたささやかな幸せが描かれている。そんなひたむきさが我々に感動と生きる勇気を与えてくれる。