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日常雑感

私の住む東京都文京区とその周辺地域には、大手から零細までの出版社、本の流通を担う取次、そして印刷所から製本所まで、関係業者の多くが集中していることで知られている。出版は「文京区の地場産業」などとも言われ、私の勤務する批評社も文京区の本郷にある。

1 年365日を、ほぼこのエリア内で生活しているのだが、まあ、職住接近という時期があってもいいかな、程度の気持ちで新卒時に某版元(批評社ではありません)に就職した際、文京区で下宿を始めたのだ。まず驚いたのは、朝、紙を運ぶトラックをとてもたくさん目にする、ということだ。印刷用紙は通常、版元から紙問屋に発注をして、そこからトラックで印刷所へ運ばれる。本文用紙やカバーなどに使う「特殊紙」は、100枚〜500枚程の単位で梱包されており、それをいくつかの山にしてトラックの荷台にロープで固定する。(屋根なしのトラックに積まれている場合)こうした光景が目の当たりにでき、朝はタクシーと同じくらい(といったらオーバー?)、大型から小型までの紙運びトラックが目白通りや外堀通りを走っている。商業印刷用の輪転用紙を積んだトラックも多い。これは荷台に巨大なトイレットペーパーのロールが並んでいる印象だ。積まれた紙のすきまには用紙の銘柄や入れ先(=印刷所名)を書いた紙が貼られており、「秋田書店漫画用紙」などという文字を目にすると「あぁ、これがかつて私を熱狂させた少年チャンピオンコミックスになるのか…」などと勝手に想像し、感慨深くなったりもする。

現在の住まいは勤務先にも歩いて30分ぐらいなのだが、その途中には様々な出版関係業者があり、それらを今和次郎の「考現学」さながら眺めつつ歩くことは、個人的にとても楽しい(変ですかね?)。特に多いのは「零細」印刷所や「○○紙工」といった折り屋(印刷された紙を折る専門業者。8頁や16頁といった単位で面付けされた印刷物を折ったものは「折り本」「折丁」などと言われる)や紙器屋(例えば辞書を入れるケースを製函したりする)、断裁屋、箔押屋、製版屋等々だ。たいていの業者は工場の前の公道を「作業場」として活用しているため、ただでさえ狭い道、歩行者はそれぞれの業者間を行き来するトラックやフォークリフトにひかれないように歩かねばならない。印刷所前に置かれたパレット(=輸送時に用いる木製の荷台)の上には紙が積まれており、銘柄のシールを見ると、自分が発注した紙がこうやって業者に届いているのか…、と実感として感じられる。枚数は同じ10連(1連=1,000枚)でも、用紙によって厚さがこんなに違うのか、とか、四六判4裁や菊判半裁(“四六判”“菊判”といった紙の定型サイズを半分や4つに切ったもの)といったサイズが目で確認でき、あらためて無駄の出ない用紙の取り都合を考えねば、などと思いが至る。

古紙回収の業者もいくつかあり、郊外の大規模な業者とは趣を異にするが、それでもベルトコンベアに大量に流れる屑紙となった本や雑誌の山は壮観だ。あれの下敷きになったら死ぬな…といつも見ながら思う。断裁を待つ雑誌や本の山を見ても職業柄、何も感じなくなってしまったのは少々問題だろうか…(いや、少しは感じるものもあります)。
 
また、本の間に投げ込み(読者カードなどのハガキやチラシ、その他諸々)を挟み込む専門の業者や、梱包結束を専業とする業者もある。作業場が通りに面していて、1冊1冊手作業でチラシを挟み込む中の光景がのぞけるところも多い。くだらない本ばっかり作りやがって、などと思われているかなぁ…、いるだろうなぁ…と自戒したりもする。朝、なんの変哲もない路地裏に俗に言う「エロ本」が大量に積まれている光景も、なかなか壮観である。もちろん私はエロ本だからなんだ、ということを言うつもりはない。私の前勤務先でもエロ本を作っており、肌の色を忠実に印刷再現することに心血を注いでいた(時期もあった)。朝日新聞2003年9月11日付「声」欄のトップに〈出版界に苦言〜放尿や脱糞の写真集が出版といえるのか〉という58歳男性の「投書」が掲載されたが、これとて大きなお世話、だと思ったりもする。

話がそれました。さて、私の勤務先への通勤路には、大手の取次「T」もある。新刊配本日の朝、書店配本用の部数が足りなくて、ここへ自転車に本を積んで届けに来たこともあったな…。前の会社では、文庫のオビの印刷がこすれて、配本用の本を汚してしまっている、との連絡があり、社員総出で帯のつけ替えとカバー磨きに来たこともあったっけ…(その時は特色のシルバーのインクが生乾き、だったんですね)。とにかく、流通センターが郊外にあるとはいえ、まだまだ朝は配本/集品用のトラックが大挙して押し寄せており、都心ではありながらちょっとしたラッシュである。また例によって、本がここから全国へ発送されるんだ、とおセンチになったりもする(バカだねぇ…)。

その近所には、活版印刷の技術力でその名を知られるK工房がある。私もいつの日かここに名刺を頼みたい…。並びには大手製本所のK製本がある。朝は、できたての新刊がパレットに積まれ、出荷を待っている。道からのぞくだけでも、やたらと数が多い新刊は目立つ。書名は確認できなかったがカバーの色が印象的な本が、やたらたくさん積まれてたな、と思ったら数日後の書店でその新刊を発見(宮本輝の本だった)することもある。かの、『ハ○ー・ポッター』の時は、荷台部分の屋根がガルウイング(上方に開く)の巨大なトラックに、これまた巨大なパレットに何百冊ずつだか忘れたが積まれており、ベストセラーと言われるものの物質的な「量」に圧倒された(このときはトラックに「ハ○ー・ポッター第○便」と書かれた貼り紙がしてあったのである)。そういえば、この『ハ○ー・ポッター』の版元も、少し前にこの界隈に引っ越してきた。メディアなどにもしばしば登場するここの社長さんが歩いているのも見かけたことがある。彼女は「肩で風を切って」歩いていた(ように見えた)。

 昔から読んでいた本の版元を、ふと、この界隈で発見することも多い。これまた私にとっては新鮮な発見である。大きい出版社を想像していたのにボロボロの戸建てだったり、小さい会社なんだろうな…と思っていたところが、立派な自社ビルだったりして面白い(まあ、たいていは前者なんですが…)。次々と社屋を移転する版元も多いし、昨今は廃業していく版元も多い。高校時代お世話になった教科書会社Kもこの界隈だ。ここの出している数学の問題集、自慢ではないが高校時代、1冊のうち、1問も解けなかった…。この版元の前を通るたび、かつての赤点を思い出しイヤな気分になる。けれども、それも今ではいい思い出だけど。

批評社の本を印刷している印刷所のいくつかもこの周辺にある。M印刷もそんなひとつだ。この前を通ると、厳しい納期を無事クリアしてもらったときは、職人さんと抱擁して喜びたい思いになるし、印刷の刷りムラがひどかったときは「なにやっとんじゃ〜」と怒鳴り込みたくなる(どちらも迷惑でしょうからやってませんが…)。主に色物の印刷(=カラー印刷)をお願いしているN印刷の営業所は神田川沿いだ。私は色物印刷の場合、なるべくフィルム検版まで自分で行うのを常としているため、印刷用のフィルムをかかえて、この神田川沿いの営業所まで自転車で届けるのも仕事の一つだ。そういえば、この界隈、自転車のカゴにPS版(オフセット印刷の版材)や印刷用の大きなフィルムを丸めて入れて移動するオジサン(職人さん)の姿も日常的な光景で、時に、それに同化している自分がいることに気付く。

界隈でひときわ目立つのが、新しくできた凸版印刷の小石川ビル。これは最高裁や警視庁などの作品で知られる岡田新一設計事務所による建物だ。他にもやたらとマンションが増えつつあり、スクラップ・アンド・ビルドによる建物の高層化が進んでいる。昔ながらの町工場も減ってきていると感じる。そういえば、写植をお願いしているI企画さんも、以前は事務所にオペレーターが大勢いたが、現在ではその事務所は引き上げ、自宅に写植機を置いて1人で仕事をしている。

……この調子でだらだらと際限なく続けても仕方ないので、このあたりでそろそろ切り上げる。この「版元日誌」では比較的マジメな出版に関するテーマが語られることが多いので、こういった日常雑感はどうかな? と思ったのだが、まあいいや! どうでも。それにしても「出版界や本の未来への提言」的な発言や著作が最近多く見受けられ、それらの主張は至極もっとも、である。私自身、出版業界に身を寄せる人間であり、「本を買わない/本が売れない」現在の状況は死活問題だし、書店への営業努力なども考えるべき重要な課題である。私も、自分の言葉で出版の未来を語ってみようかな、と今回思ったのだが、挫折した。

でも、ひとつ思うのは、本を生み出す著者と受け取る読者の間には、我々版元の人間をはじめ、ここまで書いてきたような様々な人々が関わっている事実を重く受け止め、そんな出版に関わる人々が皆、楽しく仕事できるようになれば良いな…、とは思う。いかにその人その人にとって、気分良く出版に関わることができる生活スタイルを作れるか、ということが重要であり、また考える必要があると思う。そのためには具体的にどうすれば良いのか? 例えばこの「版元ドットコム」も、実際問題、手に入れにくい中小版元の本やその情報が、読者や書店にとって入手しやすくなる具体的な活動のひとつであり、それは「本と人」の関係を充実したものにする手がかりとなろう。また、福岡や秋田、その他の地方にも「地方出版の雄」と呼ばれる版元があるし、版元ドットコム会員社の中にも地方で精力的に活動を続けている版元がある。それはまた、それぞれの地域でベストな出版活動を模索、実践しているということで、出版と人と地域の幸せな関係性とは? を考える切っかけとなる。もっと些細なこと、例えば社員募集の条件を問わない(「子育て中の人、高齢者、他国籍の人、レズビアン、ゲイ、部落民、障害者でもかまいません(ポット出版ウェブサイトより)」)といった基本姿勢なども、文化産業であることをうたいつつ、様々な点において閉鎖的かつひとりよがりなこの業界には、欠けていることだと思う。

あ〜、なんだかんだ言って最後につまらんことを語ってしまった…。「難しい話はやめてよ〜」という加藤さん(注・近所の印刷所のオジサン)の声が聞こえてきそうです。

クロマチックハープをはじめた!

 どういうわけか、5年程前、急にドラムが叩きたくなった。まあ、沼澤尚という好きなドラマーがいて、彼の叩くドラムの音が、自分のこころを妙に熱くした、という動機らしきものはあった。考えてみれば、小学校時代の「合奏」では、自分は小太鼓やシンバルやトライアングルといった〈打楽器系〉ばかり担当してたっけ…。母親に「何でいつもそんな“簡単な”楽器ばっかりやってるの!」といわれたときは、子供心に「えっ、打楽器って簡単なのかなぁ?(確かに出番は少ないけど、音はハデだし、目立つし、『簡単だから』やってるって意識はないんだけどな…)」、などと思ったものだ。しかし、以後、実際にドラムを叩く機会というものはなかった。

 それが、昨年の春頃、いつものように仕事を終えた後、数名で飲んでいるうちに「音楽やりたいね〜!」などという(ありがちな)話題になり、「じゃあ、いっちょバンドでもやるか」ということになった。「出版界は(社員チームによる)野球はさかんなれど、バンドはないだろ」「じゃあ、バンド名は(地名をとって)『本郷BOOKS』だね!」などと、ノリはまるで高校生である。通常は「宴席上の与太話」として、翌朝はキレイさっぱり忘れているのだが、私はそれ以上にドラムが叩きたかった。バンドという枠は関係なく、ただ自分の欲求のために…。かくして「素人バンド」は誕生した。メンバー構成は私と、界隈では有名な組版職人N氏(ギター)、元書店員で人妻のTさん(ギター)、私の元同僚のO(ベース)を中心に、適宜「ピアノ経験者」(ここがミソである!)のイラストレーターMや新婚のNさんに「キーボード担当」として参加してもらうことになった。

 全員が演奏に関してはほぼ素人にもかかわらず、無謀にも、いきなり「貸スタジオ」なるところへ行ってみようということになり、当方、あわててドラムを叩く「バチ」(=スティック)を購入する始末(2本で千円ちょい。思ったより安かった)。もちろん、自宅にドラムを所有しているはずもなく、何となく自分の膝をCDの曲に合わせて叩いていると(まぁ、“イメトレ”っつーやつですか?)、おっ、これがいい感じ! 案外オレってできるかも!? たまに膝小僧を強打して、これがまた痛い!! などと、ほとんどアホであります。練習の日が近づくにつれ、だんだん緊張感が高まってきたのだが、そんな初・スタジオ練習の前夜、偶然にも祖父が他界。「う〜ん、これは、『いい年こいて、バンドなんてしょーもないことやめとかんかい!』」という祖父からのメッセージかとも思ったが、生前はパイプと酒とバイクを愛した新しいもの好きの祖父だったので、「きっとバンドも応援してくれるよね、おじいちゃん」と思い至ったのでありました。

 そうこうしているうちに1ヶ月が経ち、第2回のスタジオ練習の日がやってきた。おお、これが本物のドラムセット! ロック少年に叩かれまくってボロボロだけど…。しかし、スネア(ドラム)の音がハート(=心臓)に響くぅぅ〜! うーんシンバルの音色、グッとくるっっ!! と、私はただただ感動、メンバーの「うるせーなー、あの野郎…」という声も無視して叩きまくり、至福の2時間は過ぎたのでした。……で、演奏はどうだったか、というと、〈なんとなくできた〉のだ。当然、楽譜どおりのリズム・パターンが叩けるわけでもなし、タイム・キープはムチャクチャ、スティックの握り方さえ「亜流」なのだが、それでも、ドラムという楽器は「とりあえず」叩けば音が出てくれるし、「ここで強い音を刻もう!」とか「このサビの部分には、こういうソロだ!」とか、初心者にも「自由度」があるというか、「音の構成」は自分のセンス次第なのかも…、と思わせる何ものかは感じた気がした。こういう解釈で良いんですかね、加藤茶さん?
 日頃自分は出版業務の諸々に従事しているのだが、本の装幀(=ブックデザイン)に費やす時間も少なくない。この装幀という作業は、「ドラムの演奏と似ている……かも」と、初のスタジオ練習時に感じた。つまりこういうことである(以下[ ]内はドラムの演奏)。装幀は(簡単にいうと)本の内容を自分なりに咀嚼し[演奏する曲の意味合いや構成を解釈する]、カバーデザインや造本意匠として具体化する作業である[演奏として「音」にする]。書名や著者名の書体はどうしようか[ドラムセットの“どの”ドラムを叩こうか]、カバーのどの位置にレイアウトしようか[曲のどの部分で、どういうリズムを刻もうか]、表紙にはどういう紙を使おうか[どういうタイプのドラムを叩こうか]、カバーのバックには全体に地模様を配置しよう[バス・ドラムでリズムをキープする]、キラキラ光る特殊印刷を使おう[ちょっとかわった音のするシンバルを思いっきりショットする]、以下略。ちなみに、この〈発見〉を知人に話したら「お前はアホだ」といわれました。

 まあとにかく、下手ながら「演奏」という行為は、心から愉しい! スタジオがひとり数千円程度で借りられるなら、カラオケよりよっぽど心躍る「娯楽」といえましょう。あと、私がドラムを叩いている最中に、例えばキーボードの人と目が合って、「無言のコミュニケーション」をとったりすると、く〜っ、これが快感!! 勤務中にMACに向かっていて、ふと横を見ると、原稿校正中の社長と目が合う、とはエライ違いだ〜! こんな愉しいことがあるんなら、過去、体育会系の軟式庭球部なぞに青春を捧げずに軽音楽部入ってりゃよかった〜!

 さて、そんなバンドだが、そもそも飲み会の場で盛り上がった勢いではじめてしまったバンドである。当然、「各人の音楽性」(つまり、やりたい曲)がバラバラなわけで、それは(「演奏はさいこーにド下手」のくせに)相応のストレスとなる。当初は「とっかかり」ということで、やれストーンズだのイーグルスだのクラプトンだのと選曲していたのだが、前出N氏はブルース・マンだし、他のメンバーの嗜好も「ロック」、「民俗チックな曲(なんだそりゃ?)」「フュージョン」「ポップ」「忌野清志郎」などなど、バランバランなのである。これではまとまるはずがない。

 そこで私はこのバンドとは別に、自分ひとり、つまり「ドラム+他の楽器の同時演奏」で完結する楽曲を模索することにした。う〜ん、他の楽器ねぇ…。ドラムに合わせて歌をうたうだけじゃ「つのだナントカ」か昔の稲垣潤一だし。そこで、ハッと気づいたのが「ハーモニカ(ブルースハープ)」である。おぉ、あれならみんなギター弾きながら吹いてるし! ……素人の浅はかさの何とやら、である。たまたま私は西脇辰弥という人のハーモニカのCDを愛聴していた。この人は作・編曲家でキーボーディストでドラマーでもあり、歌もうたうというマルチ・プレーヤーで、アイドルへの楽曲提供も多く、一時期ゲームセンターで流行った「キーボードマニア」の音楽作曲でも知られる奇才だ。どうせなら、この人と同じハーモニカがいいな、と思い調べたところ、何と彼が使用しているハーモニカは「クロマチック」というタイプだったのだ! これは右側にレバーが付いており、それを押すことによって半音が出る構造のモデルで、つまり「どうしても手を使う=ドラムのスティックが持てない」のである。

 …これは困った、となるところなのだが、楽器屋でクロマチックハープの実物を色々見ているうちに、ドラムのことなどどうでも良くなり(楽天的!!)、一番安いモデルを購入した。で、「西脇辰弥のCDに合わせて吹いてみよう」と思い、自宅で吹いてみたが、これが、吹けないのである。まったくのトーシロなので至極当然という噂もあるが、部分的に吹けるメロディもあった。そもそもスコア(楽譜)の入手が難しい曲だし、仮に手に入ったとしても、アドリブ的に吹いている部分も多い曲なんだから、あまり役立つとは思えないしな〜(ナマイキな奴ですねー!!)、ということで、今はとにかくCDのとおりに吹こう、と日々テキトーに吹いている(音を探すだけでちょい大変)。しかしながら半年もすれば吹けるようになるのでは、と(無謀にも)思ったりする。またいずれこの場を借りて、上達具合いのご報告ができれば、などと考えつつ…。

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 マスコミ関係者をはじめ、ミュージシャンも多く購読していると聞く、この「版元ドットコム」の場に、怖いもの知らずの文章を書いてしまって、いささか緊張している。現在、出版界は「ハリー・ポッター」とかいう本の部数ばかりが喧伝されるが、2001年の出版販売金額が過去10年間で最低だったことからもわかるように、景気のよい話を聞くことは少ない。しかしながら、時代状況によって人びとの意識に多少の相違はあっても、読者が面白く有用な本を欲していることにかわりはなくて、不況云々は身内の事情に過ぎない、ともいえる。したがって、版元の台所事情はキビシイけど、日常の生活態度ぐらいは「いや〜、ハーモニカはじめちゃってサー!」などと愉しく笑いながら、読者ともども愉しめる、刺激に満ちた本をつくりたい、と思うわけである。……もっとも、「別段、日々の生活を愉しんでいない“出版人”」が作っている本でも、結果的に多くの読者に受け入れられているケースは(多々)ありますけどね。しかしそれには無理があろう。そもそも、私はそんな“出版人”にはなりたくないのだ。