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小社にとって欠かせない「おまけ」

 小社では「ホンのおまけ」という、目録と通信を兼ねた読者向けの小冊子を作っています。先月、最新号が完成し、なんとかお盆休み前に発送を終えました。新書判16頁一色刷りのささやかなもので、表紙イラストと印刷以外、原稿書きから汗と糊まみれの封筒づめ、最後に近所の郵便局に出すまで、助っ人の手を借りつつもほとんど社内手作業でやっています。
 10年前、オフィスエムは出版活動をはじめました。それまで多少の経験はあっても、「ゼロから自分たちで出版をはじめる」ことについては、すべてが初めての体験でした。 (さらに…)

更新禁止サイト

 私、いままで知りませんでした。更新してはいけないホームページがあることを・・・。
 版元ドットコムの取り組みもそうですが、いまやインターネットにホームページを掲載することは、欠かせない情報発信手段のひとつです。発信だけでなく、連動する掲示板やMLなどで、外から情報や人が集まる場所でもあります。
 小社のサイトも、いろいろな場面でURLを告知しながら、新刊のような「何か動き出すこと」を、あまりお金をかけずに「早く」知らせ、状況をできるだけ「リアルタイムで」伝える場として、理想と現実のギャップはともかく、使っているわけです。

 しかし、こと「選挙」の場合、そんなウェブサイトならではの特性を活かすことができない、というのです。
 「更新してはいけません」と言っているのは「選管」、選挙管理委員会です。選挙期間中、候補者のウェブサイトは、公職選挙法の規制をうける文書類とみなされ、公示日から「更新は一切ダメ」という決まりになっているのだそうです。
 当たり前じゃないか、とおっしゃる方、私が常識知らずでスミマセン。実は7月の参院選後すぐ、自分の住むまちで議会議員の選挙があり、恥ずかしながらはじめて知りました。あらためて、全国で知名度の高い個人のサイトを見ると、日記などは選挙期間中は中断していたり、更新を停止する旨の記述がされているんですね。

 それにしても皆さん、おかしいと思いませんか。
 選挙に出る人は、本来、伝えたいことを山ほど持っているはず(自分の利害に関係なければ何もなし、って人も多いようですが・・・。短い選挙期間中、立ち上げや情報更新の素早さを考えれば、当然、ホームページは有効な手段と考えます。ちなみに近隣市町村で議員のサイトがあるか調べてみましたが、ほんのわずか、という感じ。
「理念も公約も何も無し」というガッカリな人はこの際論外としても、肝心の選挙期間中に使えないのでは、力も入りませんよね。
 投票する側だって知りたいんだぞ、と思う。とくに自治体の議員選挙の場合、大勢いて違いがよくわからない。国政選挙のように連日テレビや新聞で報道されるわけでもない。もっとも身近なのに、いちばん情報がない。だから選択基準が地縁・血縁で決まってしまうんだ(ちょっと乱暴ですが)。

 ネットは、利用のしかたによって良し悪しがあるけれど、社会にムーブメントを起こしたりインパクトを与える場として、あるいはそのきっかけとして、いまでは数少ない「希望」のひとつ、ではないかと思う。それなのに、伝えたい候補者側にも、関心のある有権者にとっても、選挙期間というもっともホットな時にネットは有効に機能していない、というのが現実のようです。何でもかんでもダメというのも、それこ
そ乱暴すぎないか。これでは、ますます選挙は盛り下がり、政治はますます一部の人たちのものになってしまう。・・・むしろ、そうするための法律なんでしょうか?

講演会販売はやめられない!?

講演会販売を積極的にやるようにしています。著者から講演スケジュールをもらと、その会場に近いとか、イベント主催者と取引があるといった書店に声をかけ、いっしょに販売に行く。全国を股にかけるとさすがに経費的にキツイけれども、小社の場合、著者も地元=長野県内での講演が多いので、周辺の書店営業などとあわせれば動きやすくなります。
 講演会場では講師著書はもちろん関連本、ときには関連しない売れ筋本などもズラッと揃えて店を出す。著者本だけなら長机一本で済むのに三本も四本も並べてしまう、なんてこともしばしばです。小社は専門出版社ではないのでジャンルごとの点数は少ないけれども、そこで書店が「ノッて」くれると、おもしろい売場が出現します。たとえば小社刊「源流の発想<21世紀・ムラ医療の現場から>」の著者・色平哲郎医師の講演会の売場には、コミックの「ブラックジャックによろしく」が全巻並ぶことも。
 すでに特定少数に絞られた人たちが集まってくる!と勝手に期待し、また経験がほとんどないのに「売り切れ恐怖症」に取り憑かれ、いつもつい多めに本を用意してしまいます。しかし、ご承知の通り、プロ野球のバッティングじゃないけど、講演会の売上げは「水もの」。前回が売れたなんてデータはあてにならず、イベントの主旨と著者が話す内容との関連性、参加者の職種や年齢層、会場内の雰囲気から店を出す場所まで、同じものはひとつとしてありません。長机がこっちに倒れそうなぐらいの勢いで客が押し寄せることもあれば、どう考えても本日の経費に対して赤字だよな、なんてこともあったりです・・・。
 「そんなこと言ってる時代じゃないよ」と、ある書店主は小規模の集まりでもどんどん出かけていきます。大型書店に押されるなか、外商や配達をしながら地域の読者一人ひとりといかにつながっていくか、そこに活路を見いだそうとしている中小規模の書店も多い。だから講演会出店は読者への直接のアピールの場です。これは、読者に本の存在を知ってもらう機会がひとつでも増えることが大事な、小さい版元も同じだと思うのです。
 ということで、講演会販売の効果については、少々無理矢理に「長い目で見る」ことにして、明日も出稼ぎだ!

あらためまして、長野の出版社です。

 先日、久しぶりに東京都心の大型書店、とくにガイド本売場を集中的にまわって、我ながら、このことを再認識しました。今回は最新刊『出張サラリーマンの信州イチ押し温泉紀行』の営業なので、どこへ行っても「長野の出版社オフィスエム…」と、話を始めるわけです。
 実際は、大書店の、「ガイド・紀行」のような地方出版物が集まる棚でも、小社の本は良くて2、3冊の在庫という状況ですから、今回のようなズバリ信州の本は、むしろ少ないぐらい。胸を張って言えるほどの「信州の出版社」ではないかも知れません。
 地元本が少ないのは、反面、何が何でも地元にこだわらない、ということでもあります。比較的早くから地方出版が盛んだった長野県内では、自分たちはまだまだ「若造の」出版社です。ほかの老舗各社とは違った本づくりをしようと、テーマも著者も信州に限らず、どしどし本にしてきました。
 振り返ってみると、「信州にぜんぜん関係のない本」が実に多い。例えば、『僕らはみんなキレている/脳からみた現代社会論』の著者はたまたま長野県在住ですが、『からだと心を診る/心療内科からの47の物語』の著者は関西在住です。
 これらは、いずれも「信州」というキーワードだけでは、当たり前の話ですが、まったく「ヒット」しない本でありまして、これは書店においても同じではないかと、時おり不安に思うことがあります。
 流通面で言えば、小社の取次が「地方・小出版流通センター」のみということも、一長一短があるわけです。上記の『〜信州温泉紀行』や、『信州・蕎麦学のすすめ』といった本は、「地方・小」取扱品として連想しやすいと思うのですが、『カンタンにできる/100の介護食』『生きる力を育む・幼児のための/柳沢運動プログラム』ではどうでしょうか。小社にとって、「地方出版物」が利点になる本と、そうでないものがある。この使い分けが難しい。本の特色づけが、読者の知るチャンスをかえって狭く、限定してしまうものでは意味がありませんから。
 だからこそ、所在地でもテーマでも、あらゆる要素をキーワードに取り込んで、読者や書店が本にヒットする可能性を広げてくれる「版元ドットコムのデータベース」が必要なんですね。と、ひとり書店を巡りながら、あらためて感じた次第です。

「父の日」読書推進の書

 6月16日は「父の日」です。「そうかそうか」と思い出す男性は、お父さん歴が5年以上はある人でしょうか。私はまだ3年と経験が浅いためなのか、どうも印象が薄い。5月の「母の日」に比べて世間でもいまひとつ…、書店でも「母の日におすすめコーナー」はやるが父版はやったことがないという店員さんが多いし、どうも盛り上がっている気配がない。しかも今年の場合はサッカーW杯、連日の見逃せない一戦とあっては、そんな話題などはじめからピッチの外かと…。

 しかしながら小社から、来る「父の日」にぜひお父さん達、いやお母さん達にもおすすめしたい本が出たのです。『痛快・父子血風録(おやこけっぷうろく)』というやたら勇ましいタイトルで、50代半ばの父親と20代大学生の息子、二人の6時間にわたる対談をまとめた親子論であり父親論です。目下この本を販促中なのであります。

 著者(オヤジの方)は信州・長野県のテレビやラジオでお馴染みのパーソナリティですから、県内書店での出足は好調です。ある書店でさっそく作ってくれたポップには、「最近、息子さんと会話してますか?」とありました。その前でじーっと立ち読みする50代と見える男性が…。

 息子と会話、みなさんはどうでしょうか。私も自分はどうかと考えてしまいました。まず父親としては、いまのところ息子とは結構会話しているかな。なにせ元気のカタマリ三歳児ですから対話というより全身で「体話」です。一方で、生まれて以来ずーっとやってる息子としては、うーん、この著者父子のように面と向かって何時間も話したことなんてないぞ。

 息子が大学生になって、こんなに本音で話せる父子関係ってそう多くはないと思うのです。話題は子育て、教育論から旅、音楽、映画、ついには恋愛論まで自由に広がっていきますが、家族の歴史には楽しいことばかりではなく、息子の経験した挫折についても両方の立場から素直に語られています。あとがきで父の方が「当時の息子の深い心の内を改めて知った」と語っていますが、それを前もって読めることで、父親初心者としての私にはいろいろと参考になりました。

 誰かが止めない限り喋りっぱなし、という二人の悪ガキを一冊にまとめた小社編集長の結論として、「良い子の家庭ではけっして読まないで下さい」の注意書きがオビに入りました。いま「良い子」と言われ続ける子どもほど心配なものはないと聞きます。子育てから遠ざかっているお父さん達にぜひ、「父子を楽しんでいる」この本を読んでいただきたい!と願っております。

「本紙含め10枚」はあんまりだ

 ある書店でのことです。昔ながらの、夫婦で細々とやっている小さな店。ご主人はほとんど配達で外出していることが多く、奥さんが店番をしている。小社の近くでもあり、だいたい月に一、二度は顔を出していて、行くとたいてい奥さんの口から「売れないわよねえ……」なんていう話がはじまる。
 先日、「ちょっと見てよ」と引っぱり出してきたのが、ファクスの長い長い束なのです。
 取次から送られてきた新刊案内やらフェアやらの大量のチラシでした。「今朝、店に出てみたらこれじゃない、もう何とかして! 全部うちの用紙なんだから」と。僕に怒らないで下さいよ。

 最初のページには、いとも簡単に「本紙含め10枚」と書いてある。ちょうどお客もいなかったので、二人で端と端を持ってズルズル伸ばしてみました。A4サイズの用紙なので約30センチ×10枚=3メートルにもなるんです。20坪もないほどの書店だから店の隅と隅で顔を見合わせて、しばらく二人で笑ってしまいました。「こ〜んなに長いのに、うちで必要だったのは1枚よ、イ・チ・マ・イ」だって。

 たった1回のファクスなのです。もちろん、送っているのは取次だけではない、版元からも直接、いろいろピ〜ヒャララと送信されてくる。この規模の書店でこうなのだから、大型店となればさぞかしファクスのぐるぐるとぐろ状態が察せられるのです。
 書店に1冊でも多く売ってほしい立場としては、ファクスは販促情報を伝える有効な手段です。とはいえ、使える情報が10枚中に1枚では、あまりにも無駄が多いと言えませんか。書店員のなかには全部目を通さないと気が済まないという人も知っていますが、開店前から閉店後までひたすら業務に追われ、しかもつねに人手不足のなか、という状況で、本一点ごとのファクス情報になどとても対応しきれないというのが現実だと思うのです。

 小社では読者向けに「ホンのおまけ」という通信を出していて、営業は営業で書店向けに「配ホンのおまけ」という書評情報や売れ筋情報などを送っている。なるべく補充などの荷物に同封するようにしているが、速報性からファクスを使うことも少なくない。気をつけなくては、とあらためて思うのです。
 この業界、何かにつけ、過剰印刷→過剰配本→大量返本→大量在庫もしくは断裁、という無駄の連鎖を反省しつつも、日々こんなところにも小さな(小さくない、いや長い!)無駄が転がっている世界なのだなあ、と3メートルの端をつまみながら考えてしまいました。

 大量の無駄を出せるのも、ある意味では資本力がいることで、小社みたいに「超」がつくような零細出版社では、できるだけロスを出さずに一点一点の本を売りきっていくことが生命線でもあります。ただ、少ない初版部数でスタートしても、油断してると(というわけでは決してないのですが思うように売れなかったりすると)、あっという間に在庫の山が、経営者にとっては印刷製本所からの請求の山が出来てしまいます。
 本を作ること自体が限りある資源を消費しているわけですから、肝に銘じて「本を作って読者に届ける」出版という行為をしなければなりませんっ。と格好のいいことを思いつつも、営業としては一冊でも多く売れることを目指し、沢山売れることを何よりも代え難いヨロコビとしているのですが……。

 不特定多数に向けて売るのではなく、特定の、つまり必要としている読者に必要とされている本を確実に届けること。初版から増刷につなげて、さらに増刷と長く売っていく。そのために、本の情報を書店や読者に無駄なくタイムリーにピンポイントで伝える営業を!……あ、これができるのなら、はじめから堅実な出版社になってるんだけどなあ。

いつも元気をありがとう!の書店さん達

全国で書店がどんどん潰れている状況はここ信州も同じです。長野県の場合は、地元の大型チェーンと中小規模店が何とかうまく同居していた。そこへ数年前から、隣県の大型書店(というか貸しビデオ+CDの複合店)チェーンが入りこみ、そのバランスが一気に崩れてしまった感じがあります。
 県内都市部の郊外に行けば「え、ここもなの?」というほど、様々な量販店に混じって、1kmと離れていないところに同規模の大型複合店がどおんどおんと建っている。並んでいる、と言ってもいいところもある。いくらなんでも、神田や池袋じゃないんです。これだけ近いと、お客は何を根拠に店を選ぶのでしょう。店の差別化だって限界があるし(田中康夫知事コーナーはどこも定番になっている)……。激しい出店競争の裏には、「ここままじゃやられる」という意地みたいなものが見えるようで、ちょっと心配になってきます。その一方で、昔からある街の書店が一軒また一軒と閉じていくという現実に、やりきれない気持ちがします。
 版元も書店も、みんな困って焦っています。でもそんな中、毎日がんばっている書店員さんがいます。

[A 書店]営業で行く時、「今度はどの版元をゲットしましたか?」が挨拶になってます。店長がこれは、と目をつけた商品(群)を版元と直に交渉して仕入れ、自作ポップでオリジナルフェアを次から次へ展開しています。青果市場で旬の野菜に目を光らせている八百屋のオヤジに会っているようです。彼にとって一冊の新刊はきっかけにすぎず、そこから埋もれていた既刊本を縦横無尽に組み合わせていくのです。「こんな本があったの」と客をビシビシ刺激している店です。がんじがらめに見える本の流通なのに、こんなに奔放に(見える)やれるなんて、本屋は面白い!って思うのです。ノーテンキな私などいつもこの八百屋オヤジに怒られているんですが、必ず元気をもらってきます。

[B書店]近くにどおんと大形複合店が建ち、本のみで勝負するこの店にも影響が……最近の店長さんの顔色からもうかがえます。ただ、若い店員ががんばっています。まだ若輩者の不肖営業マンが見ても丁寧な棚づくりだと感じます。忙しい中、彼女は私ら版元の話をじっくりと、根掘り葉掘り聞いてくるのです。なぜこの本が作られたか、誰に読ませたいのか。そこから「この店でどう売るか」を探っていく。話している内にこちらサイドの販売方法を発見することもある、小社にとって強い味方です。

[C書店]商店街にある老舗書店。商店街でモノが売れないご時勢だが、昔からの外商をこつこつとやっている。私なんぞが生意気に言ってはいけないのですが、社長さんは試行錯誤の末、本を一冊一冊手渡ししているお客さん=この店の原点、に戻っているように見えます。同じ市内の外商専門店が高齢化で店を閉じることになり、顧客をすべてあなたに引き継いでほしい、と依頼されたそうです。お客は世代が変わっても「この本屋に」と引き継がれている。「本は無駄にしない」と、古書の資格も取るという社長さん。この人の話を聞いていると、昔ながらの「本のぬくもり」が伝わってくるのです。

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