編集余滴
わが社は2003年3月3日設立ということにしているから、もうすぐ創業17年ということになるが実態はほとんど女房と二人だけ、つまり「会社」ではなくむしろクラブ活動みた為体(ていたらく)。余所目にはいい気なもんだと見えるかも知れないが、実際いい気分でやっている。 (さらに…)
わが社は2003年3月3日設立ということにしているから、もうすぐ創業17年ということになるが実態はほとんど女房と二人だけ、つまり「会社」ではなくむしろクラブ活動みた為体(ていたらく)。余所目にはいい気なもんだと見えるかも知れないが、実際いい気分でやっている。 (さらに…)
以前、3本目の「版元日誌」を寄稿したのは2011年5月だから、5年以上昔の話。その時「女房と二人だけの会社だし、まあ、出すべきものだけを出していくだけで、モトがとれるとはモトから思っていない、わけでもないけれど、こういうかたちでいつまでつづけられるかな」と書いた状態は依然としてそのままです。
昨年刊行できた書籍は3点。もっとも別に『季刊Collegio』という、口の悪い向きには「得体の知れない」小冊子を発行しているから2カ月に1点くらいは出したという勘定か。それもみなごく「少部数」出版に限られます。だから「会社」は実質休眠で個人事業。「事業」というのもおこがましい態。それも「気づけばいつの間にか高齢者」には相応しいと言えるでしょう。 (さらに…)
「版元日誌」に寄稿するのはこれで3度目。前回何を書いたかと自分の原稿をめくってみたら、2年前から状況は少しも変わっていない。相変わらず女房と二人で会社を「維持しているだけ」。ある意味ではまことに理想的で、快適この上ないことでもあるけれど、ちらりと「土佐源氏」(宮本常一)を想像してしまう。人生のついの境地か。しかしながら確実に「老い」は加わっていく。しばしば腰痛に悩まされ、物忘れや物失くしも頻の度を加える。ただし変容は「個」(加齢)もさることながら、「外」はまたさらに激甚である。 (さらに…)
創業9年目になったとは言っても、相も変わらず女房と二人だけで、ようやく「株式会社」を「維持」しているだけの状態。かつて素晴らしい内容と装丁の本に魅了されて、その版元を訪れたら、木造アパートの奥の一室で、オシメがぶら下がっている空間のほとんどを在庫が占領していた・・・という話があって、これこそ出版の「原点」と思ったものですが、「原点」を「忘れない」のではなくて、いつまでも「原点」でしかないというのもほろ苦いことです。 (さらに…)
創業8年目のわが社では、「フィールド・スタディ文庫」というシリーズを4年前から出しているけれど、この5月でようやく6点目。
題して『「春の小川」はなぜ消えたか 渋谷川にみる都市河川の歴史』という。 (さらに…)
ハンモト(版元)という言葉は、業界以外では理解されにくい。
「え? 旗本」「橋本?」とか。
で、「出版社」と言い直す。
『日本国語大辞典』はもっているのだが、置き場所に困って200Km以上離れた倉庫兼別荘においてあるし、ジャパンナレッジも利用していないからなんとも言えないが、「版元」は多分江戸時代後期に業界用語として誕生した用語だろうと思っている。 (さらに…)