水俣・明治大学展の意義
9月4日(土)から始まった水俣フォーラム主催の水俣・明治大学展をのぞいてみた。この水俣展の第1回めは1996年9月に開催されている。この年の5月、私は『水俣病事件資料集1926~1968』の編集作業に没頭していた。そして6月に、1800頁(重さ4.5キロ)の資料集は完成した。この当時、前年(1995年)政府解決案が発表されたこともあって、水俣病というものは、もう終わった事件なのだ、と思わされていた人が多いのではないだろうか。そのような状況の中でこの資料集は刊行されたのだが、水俣展の1回めの開催とも重なって、それなりの反響を呼んだ。
今年の1月に小社より刊行した『なぜ水俣病は解決できないのか』という本は、「水俣病とはいったいどのような症状なのか」「水俣病の被害者はいったいどのくらいいるのか」という根本的な問いに正確に答えられる人が誰もいないという、かなり衝撃的な記述から始まる。どうしてこういうことになったのか、そして今、どのような状況になっているのか。それが忘れ去られ、水俣病というものはなかったことにされないためにも、この水俣展の開催は大きな意味を持つ。事務局によると、今回の明治大学展では、130名のボランティアがかかわっているという。それだけ関心を持ち、間接的にでもかかわり続けたいという人たちが、少なからずいるということがうれしい。
当事者以外は、この問題に直接かかわるということは難しいが、研究者は報告書や論文で、記者は報道で、写真家は写真表現で間接的にかかわり続けることができる。そしてわれわれ出版社にできることは、関連した書籍を出版・販売し続けて、水俣病事件を同時代の問題として意識され続けるように努力することではないだろうか。社会とのつながりが実感できるような本を出版し続けたいものである。