台湾原住民の文学
台湾島に生きる原住民族の詩と真実! 日本植民地時代には高砂族として一括され、多くの若者が義勇軍として南方戦線に送られ、多数の生命が失われた。原住民のひとり元日本軍兵士中村輝夫ことスニヨンがモロタイ島で発見されたのは1974年のことだ。いまは彼らは、「原住民族」を自称して、公認されている。
台湾原住民族11族の世界には、未知の「山と海」が広がっている。パイワン族のモーナノン、ブヌン族のトパス、タイヤル族のワリス、タオ族のシャマンラポガン、パイワン族の女性作家アウー……このたび草風館で企画した「台湾原住民文学選」(全5巻)に収録したのはすべて、漢族以外の原住民作家たちである。この十数人の作家たちは人口40万に満たない11族のなかからあらわれた新たな表現者たちである。さらに伝統ある口承文芸の世界が拡がる。この無謀な企画は早すぎたかもしれないが、いずれマイノリティの世界がやってくるだろう。
宣伝めくが、野田正彰さんが適切な文章を書いてくださったので紹介する。
◎「台湾原住民文学選」の第1巻、『名前を返せ』を標題とした詩人モーナノンと作家トパス・タナピマ集が草風館より出版された。現代台湾の、しかも人口2%の原住民から出た詩人や作家の作品集を日本語で読むことができる。これは奇跡である。
編訳者の下村作次郎教授(天理大学)と出版社・草風館の熱い想いなしには、私たちはこの本を開くことはできなかつた。日本植民地時代から現代に至る台湾文学への研究者群が形成されていなけれぱ、作家のほぼ全作品を集めた選集は出版されていなかったであろう。また、1980年代からの台湾民主化がなければ、これらの作家は育っておらず、作品の出版は難しく、出版されても読まれることはほとんどなかったでろう。
50年にわたる日本の支配、次に大陸からやってきた国民党系の中国人。台湾山地は勝手に変わる支配民族の政策によって、虫食まれてきた。戦争時、日本政府によって男は高砂義勇隊として熱帯の戦場に送られ、女性は従軍慰安婦─原住民女性が多い─として連れ去られた。同じように戦後も、貧しい山地の女性は娼婦として都市へ流れていった。
パイワン族のモーナノンは、中国軍人に除隊の退職金で買われていった少女をうたう。「帰っておいでよ、サウミ」と、山の兄は呼びかげる。
「帰っておいでよ、サウミ/僕ら一緒に豊作の喜びの歌をうたおう/帰っておいでよ、サウミ/僕が緑に輝く芋の葉を摘んであげる/キラキラ光る露が贈り物/僕が甘い粟洒を作ってあげる/伝統の兄弟杯でお前と飲み明かそう/サウミよ、サウミ/兄は弓と火種を持って/不滅の愛と希望を胸に/山また山と/一度また一度とお前の名前を口ずさむ/帰っておいでよ、帰っておいで/粟と芋がいっぱいある僕らの家に帰っておいで」
峻険な山々、焼畑の紫煙、蛮刀をさす山男、ビンロウ、月などが次々と浮かんでくる。ここにも近代の衝撃、日本や大陸からの侵略に耐えて生きるアジアの少数民族の文化がある。◎信濃毎日新聞夕刊コラム「今日の視覚」2003年2月7日付